東日本大震災 смотреть последние обновления за сегодня на .
【まいにち防災】🤍 過去のあの日、どこで、どんな災害があったのか? カレンダー形式で紹介。 災害から命をまもるために大切なこと… それは災害の脅威を「知る」ことだと考えます。 その一助となるべく、ANN系列26局が見つめてきた災害や異常気象の記録と 視聴者の皆さまから投稿された動画を公開します。 あわせて防災・減災に役立つグッズや最新情報も紹介していきます。 #東日本大震災 #津波 #tsunami
【まいにち防災】🤍 過去のあの日、どこで、どんな災害があったのか? カレンダー形式で紹介。 災害から命をまもるために大切なこと… それは災害の脅威を「知る」ことだと考えます。 その一助となるべく、ANN系列26局が見つめてきた災害や異常気象の記録と 視聴者の皆さまから投稿された動画を公開します。 あわせて防災・減災に役立つグッズや最新情報も紹介していきます。 #東日本大震災 #津波 #tsunami
【まいにち防災】🤍 過去のあの日、どこで、どんな災害があったのか? カレンダー形式で紹介。 災害から命をまもるために大切なこと… それは災害の脅威を「知る」ことだと考えます。 その一助となるべく、ANN系列26局が見つめてきた災害や異常気象の記録と 視聴者の皆さまから投稿された動画を公開します。 あわせて防災・減災に役立つグッズや最新情報も紹介していきます。 #東日本大震災 #津波 #tsunami
WARNING: 津波の映像が流れますのでご注意お願いします。 This program contains images that some people may find disturbing. In 2021, NHK commemorated the 10th anniversary of the 2011 mega-earthquake and tsunami with a story for future generations using footage shot at the time. We sincerely thank all those who provided these images as a record of what happened during the disaster. この番組は東日本大震災の経験を世界の人々と共有し、次の世代へ伝えていくために、国際放送NHKワールド JAPANの特集として2021年に制作した番組です。当時被災地にいた多くの方々が撮影した映像が含まれています。番組制作にあたり、この未曽有の災害の貴重な記録として世界へ発信することにご賛同いただきました。 番組には地震の激しい揺れや津波の映像が多く使用されています。視聴にはご注意いただきますようお願いいたします。 Watch more documentaries on NHK WORLD-JAPAN: 🤍 More quality content available on NHK WORLD-JAPAN: 🤍
【まいにち防災】🤍 過去のあの日、どこで、どんな災害があったのか? カレンダー形式で紹介。 災害から命をまもるために大切なこと… それは災害の脅威を「知る」ことだと考えます。 その一助となるべく、ANN系列26局が見つめてきた災害や異常気象の記録と 視聴者の皆さまから投稿された動画を公開します。 あわせて防災・減災に役立つグッズや最新情報も紹介していきます。 #東日本大震災 #津波 #tsunami
【まいにち防災】🤍 過去のあの日、どこで、どんな災害があったのか? カレンダー形式で紹介。 災害から命をまもるために大切なこと… それは災害の脅威を「知る」ことだと考えます。 その一助となるべく、ANN系列26局が見つめてきた災害や異常気象の記録と 視聴者の皆さまから投稿された動画を公開します。 あわせて防災・減災に役立つグッズや最新情報も紹介していきます。 #東日本大震災 #津波 #地震
東日本大震災津波その日、大船渡津波伝承館 齊藤館長が撮影した地震の発生から津波の到達までの様子です。
海上保安庁は18日、同庁の巡視船「まつしま」が福島県相馬市の沖合約5キロの洋上で11日午後3時50分ごろ遭遇した、大地震による津波の映像を公開した。 高さ10メートルはある大津波が押し寄せ、「まつしま」は船首を大きく宙に浮かせながら乗り越えていった。【海上保安庁提供】 English News Site 🤍 English News Mobile Site 🤍
東日本大震災が発生した当時の様子です。 ※当時のことを思い出してしまう方は、ご視聴をお控えください※ 株式会社ウェザーニューズは、いざという時の避難行動や災害対策の一助とすることを目的として、防災・減災への意識の実態や変化を調査する「減災調査2021」を実施し、結果を発表しました。 本調査は2021年2月18日から21日にかけてウェザーニュースのアプリやウェブサイトを通じて行い、8,101人にご参加いただきました。 ■減災調査まとめ 🤍 回答を集計した結果、震災から10年が経過し、「全体の8割以上が震災の記憶の風化を感じている」ことが明らかになりました。 若い世代ほど震災の記憶があると回答した割合が少なく、この先増えていく震災を経験していない・知らない世代に対して震災の教訓をどう伝えていくかが今後の課題になってくると考えられます。 震災を経験していない・知らない世代に対し、今回のこの動画が、当時のことを知るきっかけになってくれれば幸いです。
2011年3月11日午後2時46分、東北沖で国内観測史上最大のマグニチュード9.0の地震が発生。巨大な津波が押し寄せるなどして全国で1万5899人が亡くなるなど甚大な被害が出ました。 JNN各局に残されている当時の貴重な映像を「アーカイブ」化して、防災意識を高めるとともに、当時の記憶を後世に伝えます。 東日本大震災の「あの日の記録」をJNNの映像で振り返ります。 岩手県釜石市の様子です。 #東日本大震災 #釜石 #巨大津波 #巨大地震 #岩手 #tbs ▼TBS NEWS 公式サイト 🤍 ▼TBS NEWS 公式SNS ◇Twitter 🤍 ◇Facebook 🤍 ◇note 🤍 ◇TikTok 🤍 ◇instagram 🤍 ▼チャンネル登録をお願いします! 🤍 ▼TBSスクープ投稿 特ダネ動画を募集しています! 🤍
福島県・大熊町。津波に飲まれ、行方不明の幼い娘を捜し続ける男性がいます。避難先から6時間以上をかけ、故郷で捜索する日々。しかし、娘との思い出が残る自宅や捜索場所は、除染で出た汚染土壌を保管するエリアに指定された。それでも…。そして、愛する娘は父のもとへ―― 津波に飲まれた娘…。2016年、この卒業式にいるはずでした。 「木村 汐凪(ゆうな)」 木村紀夫さん 「はい」 校長 「卒業証書、木村汐凪」 娘の笑顔をもっと、もっと、見たかった。 木村紀夫さん(57)。父と妻、そして、二女の汐凪ちゃん(当時7)の3人を、震災で失いました。 木村紀夫さん 「津波がきたらどうしようかという話を、子どもらに教えられてなくてやっぱりそれは、今一番こういうことになって後悔している部分で」 津波に飲まれた娘を、立ち入りが制限された故郷、福島県大熊町で、捜し続けていました。 妻・深雪さん(当時37)は沖合で、父・王太朗さん(当時77)は家の近くの田んぼで、亡くなっているのが見つかりました。しかし、汐凪ちゃんだけは見つかっていません。 時間を見つけては避難先から車で6時間以上かけ娘を捜す日々――。 木村紀夫さん 「汐凪を見つけたいということももちろんあるし、それと同時に、あそこで捜すこと自体が、汐凪とのつながりだと思っているので」 避難先の長野県で、生き残った長女・舞雪(まゆ)さんと、2人の食事。 木村紀夫さん 「できはいかがですか?」 舞雪さん 「うん」 末っ子で、家族みんなから愛されていた汐凪ちゃん。 震災から5年9か月。木村さんに、一報が入りました。『子供用のマフラーが見つかった』と。 木村紀夫さん 「娘に『こういうマフラー見覚えあるか』って聞いたら、『おそろで持っていた』って。じゃあ『もしかしたら、汐凪の骨かな』って」 泥を払うと、こぼれ落ちた小さな骨。汐凪ちゃんの首の骨でした。 木村紀夫さん 「『申し訳ない』っていう思いがね…。本当に見殺しにしちゃったようなものなので…」 いつも2人、仲良しだった姉妹。 2021年、舞雪さんは二十歳になりました。 あの日、離ればなれになった妻と重なります。 木村さんの自宅や捜索場所は、除染で出た汚染土壌を30年保管するエリアに指定されました。 復興のために不可欠な施設。わかっていても、娘とのつながりがあるこの土地は手放せない。 木村紀夫さん 「自分の中で、息苦しさみたいなのがあるんですよね。しんどいんですよ」 具志堅隆松さん 「自分の親や子どもを捜したいというのは、人間にとってごく普通のことです。遠慮を感じる必要は全くないと思います」 約40年、沖縄で戦没者の遺骨を捜し続ける具志堅隆松さん。その言葉が背中を押しました。 2022年1月2日、福島県大熊町。 具志堅さんも、沖縄から参加し約3年ぶりの捜索。 捜索開始から20分…。 木村紀夫さん 「今、お父さんが掘り出すからな」 具志堅隆松さん 「大たい骨だ。見つかった。よかった! 汐凪ちゃん帰れるよ」 当時、町で唯一の行方不明者だった汐凪ちゃん。 おかえり。 木村紀夫さん 「奇跡ですよ」 愛する娘を初めて自分の手で掘り出しました。 “悔い”は消えない。 だから、あなたを想い続ける…。 制作:福島中央テレビ ※この動画は2023年3月5日に「NNNドキュメント」で放送されたものを再編集したものです。 【NNNドキュメント‘23】 毎週日曜日深夜24時55分~ 日本テレビ系列全国放送 🤍 #東日本大震災 #福島第一原発事故 #Nドキュ #津波 #原発 #遺骨 #家族 #父 #娘 #木村紀夫 #木村汐凪 #捜索 #福島 #大熊町 #命 #避難 #親子 #想い #ドキュメンタリー #ドキュメント #NNNドキュメント #福島中央テレビ #FCT #NNN #日テレ #ニュース ◇日本テレビ報道局のSNS Twitter 🤍 TikTok 🤍 Facebook 🤍 Instagram 🤍 ◇【最新ニュース配信中】日テレNEWS 🤍
平成23年3月11日,かつて経験したことのない未曾有の大災害は宮城県をはじめとする東日本を襲い,甚大な被害をもたらしました。 この震災を風化させることなく記録として後世に伝承し,災害に強い「安心・安全」な地域社会の構築に寄与していくことが私たちの使命だと考えています。 この記録映像は,今回の出来事をしっかりと記憶にとどめ,後世に残すため,そして,多くの方々に御覧いただき,防災意識の向上を図ることを目的として作成しました。 この記録映像が,防災・減災の一助となれば幸いです。
関連ページ 教育 | 社会 | その他 作品概要 撮影:岩手県宮古市職員 2011年 カラー 26分 この映像は3月11日の東日本大震災による巨大津波の映像です。岩手県宮古市市庁舎5階から、市職員の方が第2波(6.5m)を撮影したもの。4mの防波堤を一挙に乗り越えた津波が、市街の中心部を飲み込むすさまじさ。職員の声が全てを物語っています。 この映像は宮古市より提供を受け、 平成23年度年賀寄附金によりデジタル化配信しています。
ドキュメンタリー映画「生きる ~大川小学校津波裁判を闘った人たち」公開中 上映予定など詳しい情報は、こちら。 🤍 10年間にわたる唯一無二の記録、ぜひ映画館でご覧下さい! まもなく東日本大震災から12年を迎えます。宮城県石巻市の大川小学校では、地震による津波で児童74人と教職員10人が犠牲になりました。あの震災で唯一、多くの人が亡くなった学校。その“遺したもの”に迫ります。 (2023年2月22日放送) #abcテレビ #newsおかえり #特集
平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震 The 2011 off the Pacific coast of Tohoku Earthquake 福島第一原子力発電所事故 原発 汚染水 メルトダウン 水素爆発 #東日本大震災#津波#地震発生の瞬間 BGM シンゴジラ Persecution of the masses
都知事はきょう、福島第1原発の3号機などを冷却するため放水活動に当たった東京消防庁の隊員らの報告を受け、涙声で「本当にありがとう」と活動をたたえました。 地震で被害を受けた福島第1原発で放射線の被ばくの恐怖にさらされながらも放水活動を続けた東京消防庁の緊急消防援助隊に対し、知事はきょう午後に渋谷区の消防学校を訪れ、現地から戻った隊員らの労をねぎらい活動をたたえました。緊急消防援助隊東京都隊・佐藤康雄総隊長の「30隊、139名は福島第1原発3号機の燃料棒冷却作戦を遂行し、無事帰京いたしました」という報告に対し、知事は「本当にありがとうございました。国の運命を決めてくださった。国民を代表して ■■↓全文を見る■■ 🤍
2011年3月11日に発生した東日本大震災は、震災関連死も含めると死者・行方不明者が2万人を超える未曾有の巨大災害でした。南海トラフ巨大地震や首都直下地震では、この震災を上回るような被害が想定されていますが、東日本大震災がどんな災害だったのかを知れば、南海トラフ巨大地震や首都直下地震がどれほど危険な地震か容易に想像できると思います。 東日本大震災は、東北地方の各地を襲った大津波がクローズアップされることが多いですが、揺れもこれまで日本が経験したこがないようなものでした。宮城県栗原市で震度7の非常に激しい揺れを観測したのをはじめ、東北から関東の非常に広い範囲で震度6弱以上の激しい揺れを観測、東京都でも震度5強の揺れを観測し、犠牲者も出ました。マグニチュード9.0に達した東北地方太平洋沖地震では、揺れが数分間にわたって続き、地震発生時刻が14時46分だったにもかかわらず、東京や名古屋、大阪では14時49分~〜50分にかけて最も大きな揺れとなり、最終的には北海道から九州の広範囲で震度1以上の揺れを観測しました。各県の最大震度は宮城県が震度7、福島県と茨城県、栃木県が震度6強、岩手県、群馬県、埼玉県、千葉県が震度6弱、青森県、秋田県、山形県、東京都、神奈川県、山梨県が震度5強、長野県、新潟県、静岡県が震度5弱でした。
東日本大震災から12年です。この動画では2011年1月1日から12月31日までの世界の地震活動を可視化しました。東日本大震災を引き起こした東北地方太平洋沖地震が世界的に見てもいかに巨大だったか実感できると思います。その後も、日本周辺では他の地域よりも活発な地震活動が続きました。 2011年3月11日、東北地方の太平洋沖でマグニチュード9.0という国内観測史上最大の巨大地震が発生しました。東北では震度7の非常に激しい揺れを観測し、関東でも震度6弱や5強という強い揺れを観測しました。地震発生のおよそ30分後には10メートルを超える巨大津波が東北や関東の太平洋沿岸を襲い甚大な被害をもたらしました。
東日本大震災から、この8月で12年5か月が経ちました。震災で2歳年下の妹を亡くした石巻市の女性は、今年二十歳。妹のことを、ようやく人前で話せるようになりました。以前は「悲しみは早くなくなればいい」。今は「悲しみを忘れるのが怖い」。だから、語ります。 (ミヤギテレビ『ミヤギnews every.』2023年8月11日(金)放送) 宮城の最新情報・動画を配信中! 【ミヤテレアプリ】🤍 【HP】🤍 【YouTube】🤍 【動画ポータル】🤍 ◇日本テレビ報道局のSNS Twitter 🤍 TikTok 🤍 Facebook 🤍 Instagram 🤍 ◇【最新ニュース配信中】日テレNEWS 🤍 #東日本大震災 #石巻市 #津波 #語り部 #幼稚園バス #悲しみ #命の大切さ #震災 #家族 #命 #姉妹 #記憶 #体験 #防災 #被災 #MMT #NNN #日テレ #ニュース
12年前の津波で家族全員を失った辺見佳祐さん。震災後、7歳の佳祐さんを引き取り、我が子のように愛情を注ぎ育ててきた子育て未経験の伯母。当初はぎこちない関係が続いたが、ゆっくり絆を深め合っていく。甥と伯母が「家族」に近づいていく12年の記録。 制作:ミヤギテレビ ※この動画は2023年4月23日に「NNNドキュメント」で放送されたものを再編集したものです。 【NNNドキュメント‘23】 毎週日曜日深夜24時55分~ 日本テレビ系列全国放送 🤍 ◇日本テレビ報道局のSNS Twitter 🤍 TikTok 🤍 Facebook 🤍 Instagram 🤍 ◇【最新ニュース配信中】日テレNEWS 🤍 #東日本大震災 #家族 #Nドキュ #遺族 #津波 #親子 #遺児 #人生 #命 #生きる #成長 #被災 #災害 #ミヤギテレビ #宮城 #MMT #NNN #ドキュメンタリー #ドキュメント #NNNドキュメント #日テレ #ニュース
CMなどを通じ、公共でのマナーの向上などを訴えるACジャパンが50周年を迎えました。 懐かしい広告の展覧会が、札幌市内で開かれています。 東日本大震災直後に流されていたあのCM。 札幌市中央区の「札幌駅前通地下歩行空間」で11月18日から始まった「ACジャパン50周年広告展」です。 環境やいじめの問題、SNSをめぐるモラルの向上などを訴えるテレビCMや新聞広告が並んでいます。 半世紀に渡る日本の世相の変遷が感じられるこの展覧会は、11月22日まで開かれています。
ご視聴ありがとうございます! ぜひ、あなたのコメントをお聞かせください。 114 仙台空港復旧。日米の絆を深めたトモダチ作戦 445 日本に寄り添うアメリカ軍 750 「ARIGATOU」被災地からのメッセージ 1139 太平洋から1隻の漁船を見つけたブルーリッジ 1447 海外の反応 【視聴者様から高評価の動画TOP5】 🤍 【おすすめ動画3選】 1位 ブルース・ウィルスがアメリカTVのインタビューで発言。 🤍 2位「親日国の台湾市民が日本救助隊を取り囲んだ⁉」その理由とは? 🤍 3位 エリザベス女王の国葬に参列した天皇陛下。全世界が感動した理由とは? 🤍 【最新動画TOP5】 5位 🤍 4位 🤍 3位 🤍 2位 🤍 1位 🤍 チャンネル登録もよろしくお願いします。 LLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLL ・使用フリー動画 pixabay:🤍 Pexels:🤍 MotionElements:🤍 LLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLLL ・この動画は特定の国家・民族・思想を誹謗中傷したり、差別する内容ではございません。またそれらを助長する内容ではございません。 ・この動画はメディアによる報道や新聞・ネット記事、SNSを情報源として制作しております。 ・当チャンネルは著作権侵害を目的として運営しておりません。 #国際情勢 #政治 #ニュース #海外 #中国 #韓国 #保守 #日本
「石巻赤十字病院~東日本大震災 初動の記録~」 🤍 ーーー ヒューマンバグ大学では毎日動画をアップします。「人がバグってしまう瞬間」に注目した…ちょっとダークな教養チャンネルです。 ・佐竹博文LINEスタンプ絶賛発売中↓ 🤍 ・「エビル図書館〜時々、エモル〜」もよろしくお願い致します。↓ 🤍 ・ヒューマンバグ大学公式twitter↓ 🤍 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 【当チャンネル活躍したい漫画家様を募集中!】 ヒューマンバグ大学ではイラストを書いてくだる漫画家・イラストレーター様を随時募集しています。 ・仕事の問い合わせはこちらへ! humanbuguniv🤍gmail.com
東日本大震災を踏まえて、津波から自ら判断して避難することの大切さをアニメーションを使用し子供にも分かりやすく解説したビデオです。 気象庁HP津波啓発ビデオ「津波から逃げる」 🤍
地震が起きて津波の危険がある時、揺れの長さで津波が来るかどうか目安になるといいます。東日本大震災の揺れの様子を記録した映像を、専門家の協力を得て独自検証しました。※動画には震災の映像が含まれます。ストレスを感じる方はご注意ください。 11月5日は「津波防災の日」です。10年前の東日本大震災で大きな被害が出たことから、津波対策について理解と関心を深めるために制定されました。 地震や津波の被害から命を守るための備えを、シリーズで考えます。 地震が起きて津波の危険がある時、気象庁は津波警報や大津波警報を出して避難を呼びかけますが、地震の揺れの長さで津波が来るかどうか目安になるといいます。 東日本大震災の揺れの様子を克明に記録した映像を、専門家の協力を得て独自検証しました。 「よし逃げろ、津波来る。電気止めて逃げて。津波来るから逃げなさい」(岩手県大船渡市 齊藤賢治さん撮影の映像 2011年3月11日) 東日本大震災で撮影された地震の映像の長さは1分25秒。撮影した齊藤賢治さんは、揺れ始めてから30秒ほどで撮影を始めたといいます。「津波が来る」と叫んだ齊藤さん。この時、なぜ津波が来ると感じたのでしょうか。 「こんなに長い地震であれば間違いなく津波が来る」 「あんなに大きな地震は初めてでした。結構揺れが長かったように思います。1分以上揺れているなという感覚で、こんな長い地震であれば間違いなく津波が来る、そう感じたので逃げろと」(齊藤賢治さん) 齊藤さんがいた建物は、揺れから約30分後に、津波に襲われました。 「東北地方は大きな地震・津波は数十年ごとに来ていますし、その間にも小さい津波は来ています。このくらいの地震だとこの程度の津波になるということは、体感的に理解しています」(齊藤賢治さん) 津波が来るか体感的に理解 判断の理由は「揺れの長さ」 地震の揺れの長さと津波との関連について、専門家は次のように指摘します。 「地震が起きた直後に、『海の地震』なのか『陸の地震』なのかを判断するのは難しいです。しかし『海の地震』であると、大きな地震である可能性があります。海の地震の東日本大震災では、揺れの長さは2分以上続きました。一方、陸の地震の阪神・淡路大震災では、揺れの長さは15秒程度でした。1分以上長く揺れる地震に遭遇したら、津波からの避難が重要です」(愛知工業大学地域防災研究センター 横田崇教授) (2021年9月5日放送 メ~テレ『池上彰と考える!巨大自然災害から命を守れ』より) #防災 #津波 #地震 #東日本大震災 #池上彰 #池上彰と考える!巨大自然災害から命を守れ
2021年3月11日公開 10年前の東日本大震災では、避難していた河北新報ビルから店舗と自宅が流されていくのを目の当たりにしました。言葉にできない程の無慈悲で暴力的な自然の猛威、建物と建物がぶつかり、ギュウギュウときしむ音を立てて流れ、黒い濁流に次々と飲み込まれていきました。一緒にその場にいた父は、言葉なく立ち尽くしたままでした。夜には火災で故郷が海ごと燃えました。一体どれだけの人が亡くなったのだろう、絶望的な光景でした。それでも、その日、その瞬間、ぼくは、お店の再建と故郷気仙沼の復興を人生賭けて必ず成し遂げると誓いました。命以外もう失うものは何もない。不思議と情熱が湧き上がってきました。 親戚のお宅でお世話になりながら、ゼロからのスタート。手持ちのお金は家族3人で6万円。貯金はわずか。事業の資金は金庫ごと流されていました。まさか自分が現実にそういう状況になるとは、思いもしませんでした。着るもの、食べるもの、衣食住の全ては、親戚と友人知人、全国の皆様からご支援いただいたもので生活していました。全てが優しく、あたたかく、感謝の気持ちで幸せでした。家族はただの一度もひもじい思いをすることはありませんでした。 東京の弟から送られてきた中古のノートPCを開くと、ゴミ箱のアイコンが一つのみ。親戚からモバイル通信の機材を借りてHPを制作。父の知り合いの工場を夜に借りて親子でカステラを作りネット販売しました。2ヶ月後にみなし仮設のアパートを借り、お店のテナントを借り、親戚に商用車を買ってもらい、震災から5ヶ月後に菓子店を再開しました。店舗と工場設備は、釜やミキサーはもちろん、ナイフ1本、スパテラ1本まで全て新品で買い揃えました。大きな借金をしましたが、それくらいは小さな問題でした。 オープン前日夜、父がピカピカのショーケースをじっと眺めながら感慨にふけっている姿は今でも忘れません。おかげさまで全国の皆さまにたくさんの復興支援のお買い物をしていただきました。このままいけば店舗再建も近いと思われた震災から1年後、父に癌が見つかり、ステージ4と診断、闘病の後2013年1月、天国へ行ってしまいました。61歳でした。生き甲斐だった菓子作りを再開し、まさに人生これからというときどれほど無念だったか。臨終で父とたくさん約束をしました。父のやりたかったことをぼくが引き継ぐ、と。父の分も恩返しする、と。必ず店舗と自宅を再建させる、と。危篤で意識がないと思われた父も手をあげて反応してくれました。手を取り合って約束した1時間後に旅立っていきました。人生は有限であることを最後に教えてもらいました。 父と約束したものの現実は想像よりずっと大変でした。大黒柱の父に頼りきりだったので、菓子作りも経営も半人前でたちまち赤字に転落。スタッフも去っていきました。1人残ったスタッフと菓子作りするも失敗の連続、失敗した原因すら分からず、何度作ってもうまくいきません。廃棄するお菓子のゴミ袋だけが増えていきました。お菓子でパンパンのゴミ袋を持つと、重さで結び目が手に食い込み、情けなさを倍増させました。途方に暮れていた時、助けてくれたのは父の友人や同業者の皆さまでした。作り方を教えてもらったり、アドバイスをいただいたり、「親父さんには世話になったから」「お父さんにはいつも面倒を見てもらったから」必ずそのことを言われました。死んだら終わりではなく、父は天国から周りの人を介してぼくを助けてくれました。 駐車場がなくて困っていた時は、アパートの隣の方から「うちの庭にとめていいよ」と声をかけていただきました。「あんだのおじいちゃんに世話になったから」と。父だけではなく、祖父までも天国からぼくを助けてくれました。明治から菓子屋を続けてこられたことは、先代、先々代、先祖が誠実にこの地域で菓子屋を営み、地域の皆さまと共に生きてきたからこそだと思いました。ぼくもこの地にご恩返ししたい。故郷に対する想いがより一層強くなりました。 その後、店舗再建の目標を掲げるも、用地確保に難航しました。元の場所は災害危険区域で建てられず、他の場所で探しましたがまったく見つかりません。市内の不動産屋は全て回り、八方手を尽くしましたが、時間だけが過ぎ、震災から6年が経過しました。市街地の復旧が進む中、他の被災事業者のほとんどが再建し、補助金の期限も迫ってきました。焦りと不安で押しつぶされそうになりました。それでも父との約束や、これまで多くの人に応援してもらっていることを思い出す度に情熱が湧いてきました。いい時もそうでない時もプラスに考えられるようになりました。 南気仙沼地区の災害危険区域の解除に伴い、使えなかった元の場所での再建が見えてきました。そこでも更に足踏みしましたが、おかげさまで震災から7年後に自宅を再建、8年8ヶ月後に新店舗を元の場所に再建出来ました。自分の未熟さえ故にだいぶ回り道をしました。時にたくさんの人に迷惑をかけ、心身ともに疲弊し修行のような期間でしたが、すんなり再建するよりも逆に得難い経験をさせてもらったと感謝しています。その上父との約束の地で再建出来たことは、父に導いてもらったのかもしれません。 震災から3653日、本当に多くの人に支えられ、ご縁をいただき、今を生きています。奇跡のような毎日です。現在は頼もしいスタッフも増え、家族親戚、天国の父と一緒に、たくさんの人にお力を借りながら、次の目標「新店舗うみねこランド(仮)」建設に向けての日々です。近い将来、日本、世界から注目されるお菓子屋になり地域にご恩返しをすることを生涯かけて必ず実現させます。ぼくは、生かされた命、この気仙沼に預けました。 最後に改めて、この10年間、多大なるご支援していただいたこと、気仙沼に心を寄せていただいたことを心より感謝いたします。本当にありがとうございました。 2021年3月11日 宮城県気仙沼市 コヤマ菓子店 五代目 小山裕隆 コヤマ菓子店 🤍
2011年3月11日の震災当日、迫り来る恐怖の中で撮影した動画です。 今回、その撮影者様より皆様の役に立てばと、震災当時の貴重な映像を提供していただきました。 撮影者様の後世に残したいという想いを感じていただければ幸いです。 皆様も今後起こりうる震災の時に自分がどういう行動をすれば良いのか考えながらご覧頂きたいと思います。 尚、津波の映像が含まれておりますので、ストレス等を感じた時はご視聴をおやめ下さい。 ※動画の無断転載を禁止します。 復興した現在を見られるのはこちら🤍 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 多くのマスメディアに取り上げていただきました。現在の撮影者様を見ることが出来ます。こちらも御覧ください。 日テレNEWS 🤍 🤍 地元紙(河北新報)🤍 BuzzFeed News 🤍 KHB-TV 🤍 ABEMATV 🤍
まず、災害の影響を受けた家族の皆様に心からお見舞い申し上げます。 多くの人がまだそれに苦しんでいることが知られています。 このビデオドキュメンタリーは、2011年3月11日の東日本大震災の際にJQuakeソフトが機能していたとしたらどうなるかを再現したものです。 データのタイムスタンプを尊重するための努力がなされており、その中には次のとおりです: - NIEDのK-Net/Kik-Netの観測点で測定されたリアルタイム震度(地図上の数字) -緊急地震速報からによって与えられる予想震度(地図上の色付きの地域) -当時の地震の気象庁地震情報一覧(右側) -津波情報の最初報(点滅する線) 使用したデータは、防災科学技術研究所(NIED)と気象庁からのものです。 このビデオを見ているときに知っておくべきいくつかのポイントがあります: - 最大加速度(PGA)は、JQuakeで使用される強震モニタデータのように1秒ではなく、1分のスライディングウィンドウで取得されます。 - 地震・津波の推定値は、地震時に稼働していたシステムによって発行されます。特に、災害の最初の1時間の気象庁マグニチュードは7.9で過小評価されていました。 世界的に公式のモーメントマグニチュードは9.1で、2016年に改訂されました。システムは、マグニチュード、震度、津波の新しい推定方法の導入だけでなく、一般への情報伝達の改訂によって、この経験から大幅に強化されました。 - 震源は、約3分間続き、約500 x 200kmの長方形を保持する巨大地震の破裂の開始点にすぎません。 その背後にあるメカニズムをよりよく理解するために、次のビデオを見ることを強くお勧めします : 🤍 -ユーザーポイントは、震度7が測定された栗原市に配置されました。 このドキュメントで使用されているJQuakeのバージョンは、1.7.0開発者バージョンです。 著者を引用し、このYouTubeチャンネル(JQuake:🤍 ウェブサイト:🤍 Twitter:🤍 メール:jquake33🤍gmail.com
阪神・淡路大震災が発生した28年前の1月17日に、兵庫・淡路島の病院で撮影されたビデオ。震災当日の医療現場を撮影した唯一とされる映像には、混乱する医療現場で『命の選択』を迫られる医療従事者の姿が映し出されていた。 (2023年1月17日放送 MBSテレビ「よんチャンTV」内『特集』より) ▼MBS NEWS HP 🤍 ▼最新ニュースや特集を毎日配信 チャンネル登録お願いします! 🤍 #トリアージ #命の選択 #県立淡路病院 #淡路病院 #淡路島 #阪神淡路大震災 #震災 #地震 #命の選別 #医療現場 #災害医療 #医師 #MBSニュース #毎日放送
東日本大震災から12年。津波で壊滅的な被害を受けた沿岸部は、ハード面の復興事業は終盤を迎え、新しい町に生まれ変わった。 そんな町の1つ、漁師町として海とともに生きてきた宮城県石巻市雄勝町。 震災後、町には高さ最大9.7メートルの巨大な防潮堤が建設された。 巨額の予算をつぎ込み建設された無機質な壁。 命を守るために建設されたが、その必要性を疑問視する声は今でも消えない。 あれから12年、防潮堤が町に残したものとは。 ナレーター:前田さつき(khbディレクター) 制作:東日本放送(khb) #東日本大震災 #防潮堤 #雄勝町 【テレメンタリー】 テレビ朝日系列の全国24社が共同で制作するドキュメンタリー番組。週替わりで各局が制作を担当し、独自の視点で制作しています。※地域ごとに放送時間が異なります。詳細はHPをご覧ください。 🤍
石巻医療圏の救援拠点となった石巻赤十字病院。 3月11日 14時46分 震災発生直後から即座に患者の受入体制を準備。 全国の赤十字病院をはじめ、DMAT、公立、民間、NPOの医療チームも駆けつけ不眠不休の救護活動が行われました。 ■平成23年9月30日発売「石巻赤十字病院の100日間(小学館)」 🤍 ■平成24年2月20日発売「東日本大震災 石巻災害医療の全記録(講談社)」 🤍
東日本大震災から11年。母親と、そのおなかに宿っていた妹を失った男の子が今週、中学校の入学式を迎えました。悲しみから立ち上がり、その後に迎えた母親、そして生まれてきた妹。一家の11年の軌跡です。 父親に教えてもらいながら真新しい学生服に袖を通す小鎚悠陽君(12)。 この日、岩手県陸前高田市で中学校の入学式を迎えます。 新たな門出を前に、東日本大震災の津波で犠牲となった母親に手を合わせます。 小鎚悠陽君:「(Q.なんて伝えたの?)『いってきます』って。友達とかも知らない人もいるけど、ちゃんと仲良くして勉強とか運動も頑張るって」 悠陽君の母・有花さんは11年前、24歳の若さで亡くなりました。 おなかには2カ月後に産まれるはずだった悠陽君の妹がいました。 悠陽君の笑顔が父・潤一さんの生きる希望に。 当時2歳の悠陽君は、お墓参りで天国にいるママに呼び掛けます。 あの日から11年、悠陽君に可愛い妹が誕生しました。 生後10カ月の陽心ちゃんです。 母親がいなくて寂しかった悠陽君ですが、3年前に潤一さんが同い年の希望さん(37)と再婚し、お母さんと妹ができたのです。 妹の陽心ちゃんは、年が12歳離れています。 思春期を迎えた悠陽君は妹ができて、うれしい反面、戸惑いも感じていました。 小鎚悠陽君:「少し複雑な気持ち。少し驚いているとか、分からなくなったとか、(妹に)どう接したりすれば良いのかとか」 今年3月。家族は陽心ちゃんを連れて初めて、お墓参りに行きました。 小鎚悠陽君:「悠陽の入学と新しい家族が増えたって言いました」 一歩一歩、前へ進んでいます。 悠陽君は震災当時、避難所になっていた中学校に入学。 同級生との記念撮影では女の子たちに挟まれ、はにかみながらピースサイン。 小鎚潤一さん:「自分のことも(自分で)できるようになってきて、ちょっと背はまだ小さいけど自分の意見もあって成長は感じています」 小鎚希望さん:「皆が笑顔で笑って楽しく仲良く過ごせたらなと」 妹をあやす姿も少しずつ、お兄ちゃんらしくなってきました。 小鎚潤一さん:「色んな人に助けられながら過ごした12年間なので、そのうち悠陽本人も誰かを助けられるような人になってほしい」 [テレ朝news] 🤍
▼動画『+α』の記事はこちら 宮世琉弥「戻れるなら…いつかここに」 7歳で被災、俳優になって叶えたい夢 🤍 ▼宮世琉弥さん「偶然が重なって生きていられる」 宮城・東松島市で被災…12年ぶりの自宅へ 🤍 ===== 宮世琉弥さんは、12年ぶりにそこを訪れた。津波で流された自宅があった場所。両親に電話で確かめ、なんとかわかった。 宮世琉弥さん 「この景色と自分の記憶を照らし合わせながら、重ねながら、今すごく思い出しています。当時のことを」 ■小学1年生で被災 12年ぶりの自宅は・・・ 2022年、TBSドラマ『君の花になる』に出演して注目を浴びた宮世琉弥さん。 CMやドラマに立て続けに起用され、いま最も活躍が期待される若手俳優の1人だ。 震災発生当時は、宮城県・東松島市の小学1年生だった。 あの日、東松島市の野蒜海岸には高さ10mを超える津波が押し寄せた。市街地の約65%が浸水。7割以上の住宅が倒壊するなど、壊滅的な被害を受けた。 宮世さんの自宅も津波に流され、市内の親戚の家に避難した。以来、震災当時の地元を訪れることはほとんどなかった。 宮世琉弥さん 「嫌な記憶を思い出したくないというのは絶対あったなと。あんまり考えないように生きてきた」 宮世さんは2月、その地元を12年ぶりに訪ねた。 自分の目で現場を見て、両親や、地元で暮らす人たちにも話を聞き、自分の“いのちがどのようにして守られたのか”を確かめる。そして、震災を風化させないよう、伝えていきたいという。 宮世琉弥さん 「伝える側だったら、乗り越えなきゃいけない部分がある」 ■「妹たちをそのまま迎えに行っていたら…」流された車と“偶然” 12年前の3月11日、宮世さんは(旧)浜市小学校で帰りの会の途中、激しい揺れに見舞われた。 そしてまもなく、母が車で迎えに来た。後部座席に宮世さんを乗せ、母の車は田んぼの間の道を走っていた。 宮世琉弥さん 「景色は覚えていますね。断片的に、そこのバッていう感じは覚えています」 「保育園にいる妹を、これから迎えに行くのかな」 宮世さんがそう思っていたとき、泥水が地を這うように迫ってきたという。 津波だった。 「母さんが車をUターンさせて走ったんですけど、やっぱり追いつかれちゃう」 「洪水みたいにきて、流されて」 水量を増した津波に、車ごと押し流されていく。 「当時の記憶がフラッシュバックしてきて、不思議な感覚ですね」 「当時は怖いとかはなかったんですけど、何が起こっているのか分からないっていう方が強かった」 そして…道路上を数百メートルにわたって、津波に流されてきた車。緩やかにカーブする地点で道を逸れ、斜面に乗り上げた。 宮世さんと母親は即座に車を飛び出した。そして、斜面を必死に登った。 その後、津波は勢いを増し、乗っていた車は流されていったという。 宮世琉弥さん 「妹たちをそのまま迎えに行ったりとか、どっちか違う方を選んでいたら…死んでいたかもしれない」 「1つ1つ偶然が重なって、いま生きていられるんだというのは…現地に戻ってきて思いますね」 少しでも何かが違っていたら…“自分のいのちが失われていたかもしれない”。 高台に逃げた宮世さん。12年ぶりに現場を訪れ、そこで目にした光景がよみがえってきた。 宮世琉弥さん 「流されている方がいましたし、遺体もそのとき初めて見たので」 「自分だけが助かって良かったのかとか、当時はそういうことも思ってましたね」 仲の良かった同い年のはとこも、亡くなった。 「亡くなったっていうことが嘘だと、ずっと信じ込ませていました。自分の中で」 「自分じゃないいのちもたくさん失われたので。悲しいし悔しいし…色んな感情が湧いてきますね」 ■幼なじみとめぐる母校、約400名が一夜を過ごした小学校 続いて母校の小学校を訪れた宮世さん。待っていたのは幼なじみだ。 2人の母校は津波で大変な被害を受け、取り壊しも検討されたが、今は植物工場として校舎の一部が活用されている… ▼TBS NEWS DIG 公式サイト 🤍 ▼チャンネル登録をお願いします! 🤍 ▼情報提供はこちらから「TBSインサイダーズ」 🤍 ▼映像提供はこちらから「TBSスクープ投稿」 🤍 #TBS #東日本大震災 #震災12年 #宮世琉弥 #君の花になる #君花 #つながるおもい #原田真衣 #宮城 #東松島 #石巻